2020/11/10
かつてエスキモーは氷の家イグルーに住んでいて、めったに人に会わず暮らしていました。たまに家族以外の人に会うと歓待し、自分の妻を差し出しました。それが一番のもてなしでした。また新しい血を家族に入れることが遺伝的にも良いことでした。
また彼らは第一子が女の子である場合、育てず、雪を口に詰め、殺してしまいました。女の子を育てても狩りができず、両親が老いたときに家族のサバイバルに役立たないからです。
最初にエスキモーを訪ねた白人は誰だと思います。それは宣教者、キリスト教徒です。彼らは妻を差し出されても受け入れることはできません。しかしそれはエスキモーにとって最悪の屈辱と見なされていました。
激怒した夫が宣教師を殺害した事件の報告ががありました。
ピグミー族の社会では父、母を意味する言葉がありませんでした。自分より年上の女の人と男の人と言う言葉が代用されました。
彼らの社会では子供は部族全員の子供だったのです。愛情の深い社会です。
またイク族は、愛のない部族と呼ばれ、子供をすぐに手放し育てません。ほったらかしにさえた子供は自分たちのグループを作り、生き残るために協力しあいます。
このように以前は文化の違いが大きく文化人類学は大変興味深いものでした。
個人の価値観は自らが育った文化に依存します。囚われます。それをエスノセントリズムと言います。自文化中心主義。
それから脱却しモノラルの視点からステレオの視点を身につけるには他文化に接する必要があります。そのため最も有効な手段は外国語の学習です。文化は言葉の中にあります。
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